ポール・デスモンド(Paul Desmond、1924年11月25日 – 1977年5月30日)は、アメリカ合衆国のジャズ・サックス奏者、作曲家。
ウエストコースト・ジャズを代表するミュージシャンの一人で、デイヴ・ブルーベック・カルテット在籍時に作曲した「テイク・ファイヴ」等で知られる。
1950年代のジャズ・サックスでは、チャーリー・パーカーの影響力が強かったが、ポールはレスター・ヤング直系の繊細なスタイルを持ち味とし、異彩を放った。1950年代末期から1960年代前半にかけて、アメリカのジャズ専門誌『ダウン・ビート』の読者人気投票で、アルト・サックス部門の首位をキャノンボール・アダレイと争った。
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Paul Desmond / ポール・デスモンドの経歴
サンフランシスコ出身。12歳でクラリネットを始め、後にサックスに転向。
1946年、ジャズ・ピアニストのデイヴ・ブルーベックのバンドでデビュー。1956年にはジョー・モレロ(ドラム)が、1958年にはジーン・ライト(ベース)がデイヴのバンドに加入。1967年に至るまで、この4人で多くのアルバムを発表するが、特に『Time Out』(1959年)は、ポールが作曲した5拍子の楽曲「テイク・ファイヴ」が評判となった。更に1964年には、日本公演の印象を元に、日本の地誌や文化をテーマにしたアルバム『Jazz Impressions of Japan』を発表。
デイヴとの活動以外では、ジェリー・マリガンと度々共演し、また、1950年代中期からは、バンド・リーダーとしての活動も多くなる。1963年から1965年にかけて、RCAビクターと契約していた頃は、コニー・ケイ(モダン・ジャズ・カルテット)やジム・ホール等がポールのサイドマンを務めた。1963年に作曲・録音した楽曲「テイク・テン」は、「テイク・ファイヴ」の続編として作られたもの。
1977年5月30日、肺癌で他界。